旧料亭金勇の歴史について
料亭金勇は、初代金谷勇助(かねや ゆうすけ)氏が明治23(1890)年に創業し、木都能代を象徴する建物で、県内屈指の料亭として各種宴会や接待、婚礼などに広く使われました。現在の建物は、昭和12(1937)年、2代目金谷勇助氏によって建てられたもので平成10(1998)年10月26日に国登録有形文化財に登録されました。その後、平成20(2008)年8月末に閉店。翌21年に能代市に寄贈されました。能代市が寄付を受けた理由としては、天然秋田杉の良さを十分に活かし、重要文化財に登録されたもので、同様の再建築は不可能な貴重な建物であること、木都能代の発信基地として担える建物であること、以上の点が評価されました。
旧料亭金勇の歩み
明治23年 (1890) |
初代金谷勇助 現在地に貸席として山本倶楽部を創業 |
明治38年 (1905) |
12月9日 彦兵衛からの火事により建物消失 同年再建 金勇倶楽部へ名称を変更 料亭として営業再開 |
昭和12年 (1937) |
2代目金谷勇助 新館として現在の建物を建築 8月着工 9月上棟式 11月10日竣工 大工45人、人夫20人を常用 棟梁:梅田鉄三 副棟梁:荒木菊太郎(東京の宮大工) 建築後援会:昭和木材(株) 舘岡篤社長、秋田木材(株) 小沢秀治所長 等が資金や建築木材の調達に奔走 協力者:能代営林署 横川信夫所長、西田木材 西田正二社長、牛丸兵衛、竹内平蔵 等 |
昭和19年 (1944) |
陸軍の徴用により、営業停止 三代目は軍属となる 陸軍所沢飛行場東雲分場が宿舎として使用 将校は小部屋、下士官は中広間、兵士は大広間を使用 |
昭和21年 (1946) |
営業再開 昭和14年からの戦争で営業が振るわず、建築の借金が残っていた |
昭和26年 (1951年) |
料亭金勇へ名称を変更 |
昭和32年 (1957) |
10月 旧館解体に伴い玄関を改築し、厨房を増築 舞台を改修し、空調を取付 |
昭和45年 (1970) |
6月 大広間舞台に緞帳を取付 |
昭和54年 (1979) |
上げ汐の間、曙の間、結婚式場などを増築 |
昭和58年 (1983) |
日本海中部地震により一部損壊。照明などを改修 |
平成10年 (1998) |
10月 国登録有形文化財に登録 |
平成20年 (2008) |
8月 料亭金勇閉店 |
平成21年 (2009) |
3月 4代目当主能代市へ寄贈 |
平成25年 (2013) |
増築部分解体、耐震補強工事 12月 観光交流施設として能代市旧料亭金勇として開館 |